元気手帳 広岡浅子 編 5大正3年から二の岡(御殿場)の別荘で勉強会を主宰、村岡花子に世の中のために学びなさいと説いたことが、翻訳者となるきっかけとなりました。(戦後、村岡花子は「赤毛のアン」の翻訳で一世を風靡)自分1人ではなく女性全体の地位をあげてほしい。
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