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サンプル版のため一部のページを掲載しています大阪の豪商加島屋に嫁ぎ、炭鉱経営、銀行、保険会社等の近代事業を興し日本の女性の地位向上に尽した一生広岡浅子は1849年に京都の出水三井家の4女として生誕。17歳で豪商加島屋の次男広岡信五郎に嫁ぎました。 3年後に明治維新が起こり加島屋が傾きかけるなか浅子は東奔西走。 目を見はる九転十起の精神で、炭坑経営、加島銀行、大同生命保険の創設など近代的な企業グループへと変える役割を果たしました。 その一方で女性の地位の低さを嘆き、啓蒙に努め、日本女子大学校の設立等に尽力。チャレンジ精神あふれる浅子の言葉は、多くの人々を鼓舞しました。1919年(大正8年)1月14日、多くの人に惜しまれつつ波乱に満ちた70年(享年71歳)の生涯を終えました。広岡浅子のプロフィール

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