物凄く伸びる会計人(著作集Ⅴ)

 飯塚 毅 著
(目次)

第1章 禅と人生
 (序説)
 1. 私には禅を語る資格も能力もない
 2. 禅に関する書籍は山ほどある。しかし私が目を通した禅書は、九牛の一毛にも当たらない
 3. 私は日本の各地で、時には海外で、与えられた演題に従って講演することを習慣としている
 4. 私は税理士であり公認会計士であるが故に、この職業との関連で自分の禅体験や人生論を語ることはできる。たかだかその程度のものである
 (本論)
 1. 私は職業柄、多くの書物を読まねばならない。ただし、原則としてそれは一回限りの読書であって、二度と読むことは滅多にない。
 2. 問題発見能力を養っていない経営者の経営は必ずつぶれる
 3. 洞察力を養った経営者には無限に近い創造性がある
 4. 禅には住著しない心と因果をくらまさないこと、つまり因縁、縁起を重視している。これは経営者成功の秘訣である

第2章 企業経営者(TKC会計人)は、古代インド哲学から何を学ぶべきか-
 TKC会計人は、企業経営者の期待に如何に応えるべきか
  ・ 企業経営者の期待には多様性があり、階級性がある
  ・ 第1の要件は関与先に絶対的な安心感を与えることである
  ・ 第2の要件は企業の安定と発展への最高の助言者になることである
 企業経営者(TKC会計人)は、古代インド哲学から何を学ぶべきか
 (序説)
 人は生まれ、およそ100年以内に死ぬ。史上その数は無数である。その中で、TKC会計人またはTKCが関係を持つ企業の経営者といわれる人は、幾分なりとも他と比べて優れていなければならぬ。とすれば、優れてゆく原理は何かを考えてみる必要がある
 (本論)
 1. 中国の仏教の古典の中に『六祖壇経』という書物がある。この中で五祖弘忍禅師は「本心を学ばねば、何をやっても駄目だ」と言っている。その「本心」とは何か
 2. 人間の感覚というものは余りにも強く、猛烈なので、それを自制しようとしている分別心ある人でさえも、時には 強力に運び去られてしまうことがある。

第3章 若い世代を含み人を如何に育てるべきか
 (序説)
 1. 人類はその文化史8千年の中で、いまだに「人を如何に育てるべきか」の法則としての科学的な方法論を発見してはいない
 2. その原因は、ベルリン大学の哲学教授ハイデッガーが言ったように、「人間とは、人間にとって、最も近く、かつ、最も遠い存在だから」という判断の中に見出すことができよう
 3. また、心理学で言う、人間心理の構造の複雑さ、すなわち表面意識、潜在意識、深層意識というように、人間の心理構造が異常と見えるほどの複雑さを持っている結果であると言えるかもしれない
 4. 最近の生物学は、すべての個体はその個体の中に、その個体の祖先が地球上に出現した時以来のすべての経験の記憶を内蔵しているとの事実を発見した
 5. 釈迦は、己の命の数億年前の状況まで思い出すことができた。“Yoga.Immortality and Freedom, 1969”
 6. 「人間の行動選択は、人間の表面意識がある大脳 新秘皮質系が行うのではなく、人間の潜在意識がある大脳辺緑系が行うのだ」――時実利彦著『人間であること』
 7. 人間の教育は、他人が相手の表面意識を手掛かりとして、その行動選択を 呼び起こす大脳辺緑系に如何に方向付けるかにかかっている。ここに教育のむずかしさがある。
 (本論)
 1. 私自身は、人を如何に育てるかについて成功の体験を持ってはいない。それは恐らく私一人の未熟のせいのみではなく、そこには人類共通の困難が横たわっているからだと思われる
 2. 人を育てるうえでの人類共通の困難は何か・その要約。
 3. それでもなおより良き生き甲斐を求めて人を育ててゆかねばならぬとの宿命を有するものとすれば、若い世代を含み人を如何に育てるかにあたって、育てる側に立つものが、具備すべき諸条件は何か
 4. 「人を如何に育てるべきか」という根本問題は、しかし、特定の時間と空間との中の問題、換言すれば、特定の時代環境の中の問題だと位置づけることもできる

第4章 激動する80年代を生きる経営者のあり方
 (序説)
 1. 人間のすべての意見というものは、その人の性格、環境、教育および経験内容などに制約されているので、若干の偏りを持つものである
 2. 統計によれば、従業員9名未満の中小企業の事業体は、日本に405万もあるという。9名という制限をはずすと、500万事業体になる。果たして、何万という業種に共通する経営者モデル像というものがありうるか、私はごく抽象的な場合を除き、そんなものはないと考える。
 (本論)
  第1要件、脚下照顧の問題
  第2要件、経営方針の明確化とその創造性の問題
  第3要件、人的物的資源の組織化を図れ
  第4要件、経営の達成基準(成果基準、または許容基準)を明確化せよ
  第5要件、人事管理と統率力の問題・忠誠心の培養能力のこと
  第6要件、経理は国家社会の全体として公開の方向に向かう、したがって、この傾向を先取りせよ
  第7要件、目標貫徹力の養成、不動心の練磨
  第8要件、経営主体が捨て身になれ

第5章 若者に望む
 若者に望む
 自らの意志力を鍛える
 清らかな心、純粋な心を手に入れる
 人生を決めた1日4回の命がけの参禅
 貫徹力を身につけ、頭の中に塵一つない状況をつくる

第6章 発展する企業経営の原理
 第1原理「洞察力」
 1. 洞察力が持てない人は、原則として、人生競争の敗残者となるべき運命の人である
 2. これが人生勉強のうえで最初にして最大の課題であるのだが、同業者中での実践者は、皆無に近いほど少ない。だがそこで、憤るなかれ、この人生見物するに堪えたり、と観想すべきであろう
 第2原理「経営者の廉潔性」
 1. 経営者の廉潔性、つまり身ぎれいであることの重大さは、強調しすぎることはない
 2. 廉潔性の根源的条件である恐怖感の完全払拭は、人生の至難 事の一つである
 3. 『碧巌録』第7則の冒頭に、「聲前一句、千聖不伝」とある。これが 、人間が恐怖感を脱却するための最短距離を形成する問題提起である。
 第3原理「貫徹力」
 1. マックス・ウェーバーは、成功する社会生活(経営)のために、理想型確立の必要を説いた
 2. 今後、経済社会内の競争はますます激化の方向にある
 3. 貫徹力の根底にあるものは、無畏の心である
 第4原理「(全従業員の)英知結集」
 1. 経営者は、全従業員の英知結集を、是非ともやらねばならない
 2. 「八風吹けども動ぜず」
 3. 全従業員に対して、向上心の刺激、能力伸長の政策をとるべきだ
 4. 「新規開業の会計人に与える」という論文
 第5原理「使命感の徹底」
 1. この人生という画面に、どういう絵を描くか、どういう色を塗るかは、いまや各人格の自由に任されている
 2. 金か社会的地位か、名誉か、理想的結婚生活か、優れた子孫か。皆、大切であろう。しかし、どれも皆、偶発性があって、生きざまの真の決め手ではない
 3. 早くから己が生命の使命を吟味し、特定すべきであろう

第7章 わが国の税法の欠陥と職業会計人の対応
 (本論)
 1. 世界の文明国中に、業務上の取引の正しい記帳をするかしないかを国民の勝手気ままな選択に任せている国は、日本以外には一カ国もない。この事実は、日本税制の重大な欠陥であって、早急に是正しなければならない。改革のタイミングは、今を逃すとなくなる危険がある
 2. 世界の文明国中で、所得の税率が最も高いのは日本である
 3. 世界の文明国中において、給与所得を除く所得税について所得基準の申告納税制度を採用しているのは、わが日本一カ国のみであり、他の国々はすべて総収入基準の申告納税制度を採用している
 4. 世界の文明国中で、保険契約による死亡保険金を相続人一人当たり250万円まで非課税とし、他は課税所得の扱いをしている国は、日本一カ国だけである
 5. 世界の文明国中で、国税の不服審判機関を国税徴収の最高責任者たる国税庁長官に身分的に、すなわち任免権と給与権とを従属させているという国は、日本一カ国だけであって、他の国にはない

第8章 TKCの原点と超イノベーション時代への対応
 (本論)
 1. 「TKC会計人の原点」は、高度の哲学性をもった理念であり、その第一は「自利利他」の理念である
 2. 「TKC会計人の原点」の第2は、「光明に背面なし」の理念である。太陽の光線には、裏も表もない。職業会計人は、正直と誠実とを絵に描いたように、透き通しのガラスのような生活態度をもたねばならない
 3. 超イノベーション時代への対応

第9章 平成の大変革期に、われわれ職業会計人は如何に対応すべきか
 どのような変革が起きているのか
  マルクス・レーニン主義の没落
  情報の変革
  日本そのものの大変革
  企業経営者は、この平成の大変革期にいかに対応すべきか『経営革命』の著者トム・ピーターズの5つの処方箋
 (結論)
  いかに対応すべきかの原点
  日本の税理士法・公認会計士法をどう変えていくか

第10章 世界の潮流の中でのわが国の税制と商法のあるべき姿について
 (序説)
 1. あるべき姿について
 2. 大衆の常態は、現象の表面だけを見る点にある
 (本論)
 1. わが国税制のあるべき姿について
 2. 商法のあるべき姿について


(はじめに)

 上智大学の渡部昇一教授の報ずるところによると、ドイツの大学では、初めの2カ年間は哲学を必須科目にしているとのことです。これは、わが文部省の大学関係の審議会でも、大勇断を発揮して、日本の大学制度に、これを採用すべきだ、と私は考えています。それによって、早い段階から、物ごとを原理的に考えるという態度を養うことが出来ます。数年前にドイツのダーテフ(DATEV)センターの社長ハインツ・セービガー博士が、私の茅ヶ崎宅を、その家族と一緒に訪ねてこられたことがあります。何かのひょうしに私の書庫を見たいといい出したので、案内したところ、彼は、たまたまベルリン大学の法哲学教授だったシュタムラーの『正法の理論』(Die Lehre von dem richtigen Rechte)を見付けてスットンキョウな声を張り上げて、「私の大学時代に、猛勉強させられた本がこれだ」とすごく喜んで懐かしがっていたことがありました。彼は大学では経済学専攻だったのですが、必須科目だった哲学では、シュタムラーの作品を集中的に勉強したようでした。私はその時、渡部教授は嘘をいってはいなかったな、と感銘したことでした。
 大学時代の私は、病身だったせいもあって、授業には殆ど出ませんでした。法哲学の栗生教授の授業にも、例によって1時間しか出ていませんでした。ところが、学士試験の法哲学の試験問題を見たら、“richtiges Recht”という2字だけしか書いてない。勿論、これについて論ぜよ、というわけでしょう。試験場で私は胸をなでおろしました。私は読んでいたからです。採点結果は98点。青春時代にはこんなこともあったのでした。
 先頃亡くなられた元東京大学の学長だった茅誠司先生に、湘南電車の中でばったりあったことがあります。好機逸すべからず、と思った私は、茅先生に質問しました。「本田鋼で有名な本田光太郎先生は、金属材料を溶解せずに特殊鋼を作られた、といわれて、私達の東北大学時代には、学生間で大変評判だったのですが、本当のことだったんでしょうか」と。茅先生は、本当だったのです、といって、それがドイツのノーベル賞物理学者のハイゼンベルグ教授から学んだのであって“Gedamkenexperiment”(思考実験)といわれたものです、と教えてくださったことがある。ハイゼンベルグ教授は、その自伝的な作品である『部分と全体』(Der Teil und das Ganze)で、20歳代で、すでにカントの『純粋理性批判』(Kritik der reinen Vernunft)に精通していたことがわかる(山崎和夫訳193頁)。彼がノーベル賞をもらったのは、31歳のときだったのだから、「参ったッ」といわざるを得ない。
 こういう凄い先生方とくらべると、私などは空中に浮遊する塵埃のような存在に過ぎませんが、それでも、空中の塵埃なりに思うことは、根本に帰って、会計人は自分の 在るべき姿を探り当てるべきだ、ということなんです。
 この本は、昭和56年以来、日本国内の各地で、私が講演した内容を、TKC広報部の若い方が録音してくださったものを、石野清君たちが文字に直してくれたものです。シュタムラーやハイゼンベルグの著作とくらべると、天地雲泥の開きがあるものですが、それでも、これを理解して実践して下さると、せめて日本のトップぐらいにはなれる程度の道しるべにはなっている、と信じております。
 寝ころんで読んでもいい。仰向けになって読んでもいい。とにかく、日本の前途ある会計人に、一度読んでいただけたら幸いなのだが、と思っている次第です。

平成3年5月
茅ヶ崎の寓居にて
毅 記

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