3を評価しつつ、その企業の経営ノウハウの習得と蓄積にもあったということです。いくら素晴らしい政策を掲げようとそれを実行するのは企業になります。また、企業が単体として努力するだけではなく、政策がその後押しをすることで、後の高度経済成長が実現されたと考えられるのです。高度経済成長期には、男性平均賃金は1955年に比べ1975年には7.4倍になったという統計(家計調査)もあります。同時期の物価上昇率は2倍程度ですから、これを考慮しても実質的には毎年相当な所得拡大ができたことになります。人の幸福度は所得だけでは測れませんが、少なくとも未来に希望が持てた時代であったことは間違いありません。また、所得が拡大することで経済学的に見ても消費が拡大し、かつ、投資も拡大していきました。まさに、正の成長スパイラルを実現していたのでした。その後も2度のオイルショックを乗り越えてきましたが、1990年代に入り、初頭のバブル崩壊、1997年の金融危機、2000年のITバブル崩壊、2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災と日本経済は立て続けに災厄に見舞われます。極めつきは、コロナショックでした。人との接触や移動を制限されたため、飲食や観光を中心とした売上が大きく棄損してしまったのです。国も支援金や融資等で大規模支援を行い、これを乗り越えてきましたが、政府系金融機関が貸し付けた約20兆6000億円のうち、7.6%にあたる1兆5000億円超が返済困難になっているといわれています(「日本経済新聞」2024年12月19日)。中小企業の景況感はそれ以前から悪く、地方に目を転じれば、シャッター通りが目立つなど、中小企業の活力のなさが地方経済に及ぼしている影響は計り知れないものがあります。高度経済成長時代には、誰もが「明日は良くなる。きっと良くなる」と信じ、それが個々人や企業の活力につながっていました。しかし、バブル崩壊後長引いたデフレ不況を経験したことで、明日への希望を持てなくなった人の割合が多くなりました。いつの間にか日本は「希望喪失社会」になってしまったのです。この結果、「格差社会」という言葉に代表されるように、勝ち組と負け組が峻別され、昔は負け組であっても敗者復活の可能性が残されていたのに対し、その可能性も少なく、両者は「分断」されている、との指摘をする識者も出て
元のページ ../index.html#15