1政府の政策と第1章 時代を観る眼2かつて日本は、第二次世界大戦後、奇跡的な経済復興を遂げ、短期間のうちに米国に次ぐ世界第2位の経済大国としての地位を築きました。これは、勤勉な国民性という人的資源があったことが一番の要因だと考えられます。また、制度的にも、戦後まもなく「傾斜生産方式」を実行し、当時の基幹産業である石炭と鉄に資金・資材を重点的に投入しました。これにより両部門が成長・拡大し、それを他の工業製品産業に波及させ、結果として工業復興を成し遂げたのも一因です。これに続き、1950年代末から高度経済成長初期の産業政策として「機械工業振興臨時措置法(機振法)」により、中堅の機械製造業者に低利融資などをして、その成長を促しました。この機振法では、融資を通じて当該企業の質的成長を促したことは、『幻の産業政策機振法』(尾高煌之助・松島茂編著 日本経済新聞社 153頁)の次の記述からうかがえます。こうした「前近代的」な企業群にとって開銀から融資を受けるということは、まず、帳簿の整理、事業計画、返済計画などの経営の基本的な部分の著しい改善を必要とした。開銀が融資申請に際して企業側に要求した書類は、「会社の概況」から始まり、「長期設備計画総括表」「生産実績および計画明細表」「資金運用表」「人員配置計画表」「貸借対照表および損益計算書」等、14種類にのぼった。しかも、その内容はきわめて詳細なもので、ひな型通りの記載が要求され、企業側にとってはこの書類を作成するだけでも相当な努力を要したと推察される。(中略)厳しいが優秀なスタッフをもった開銀審査を通じて、「直接原価計算方式と損益分岐点」といった企業経営における基本的な財務概念について学んだことを高く評価している。つまり、機振法の肝は単に融資を実行するだけではなく、個別企業の事業性企業経営者の協働が重要
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