とだった。さらに、当時日本オリベッティ社に在職していた伊藤重一、鎌本勝博の両君を通してルチアーノ・コーヘン社長に接触する機会を得、この社長の紹介で、西ドイツのDATEVセンターのハインツ・セビガー社長(Dr.Heinz Sebiger)との連携が生まれたことは、決定的な事件だった。 昭和47年1月、私は長男(現TKC社長(3))を伴ってDATEVを訪問し、社長達と会談し、DATEVとTKCとが、その経営の根本理念において完全に同一であることを互いに確認して歓喜しかつ雀じゃく躍やくした。なお、経営の基本理念として、『自利とは利他をいう』とした最澄の解釈(4)を取り、栄西がその『興禅護国論』において善戒経の解釈を引用した解釈を取らなかった理由は、前者の方が、後者よりも遥かにその解釈において深遠かつ精確だと判断したからに他ならない。(5) 昭和46年8月17日、東京九段会館において全国代表者会議が開かれ、日本で初めての会計人集団「TKC全国会」が結成されました。その目的、理念、統括原理が、以下のTKC全国会会則前文に表現されています。 コンピュータ革命時代における日本の税理士・公認会計士の前途を深く憂慮した飯塚毅はTKCを創設し、職業会計人の職域防衛と運命打開とには、進んで自ら体当たりするほかはないと決心した。 そのためには、まず成否不明の開発事業に要する莫大な資金調達の責めを私企業たるTKCの一身に負わしめつつ、当然とされる商業主義の理論を止揚し、自ら経営する飯塚毅会計事務所も、その長年の研究成果たる業務管理文書の全部を開放し、会計人をして速やかに高次元のソフトウェアを徹底的な低費用で利用せしむる体制を全国に普及すると共に、TKC創設の理念に賛同して参加した同志会計人には、その事務所体質の改善と業務品質の管理について真率果敢な実践を求め、事務所の徹底電算化を通じて経営の合理化と業務水準の向上、収益性の拡大並びにその社会的権威の画期的向上を画り、会計人の孤立化を排して格調高い血縁的集団の形成を目指し、しかも、敢えて会計人全部の無差別入会を認めることなく、あくまでも高度の職業倫理を堅持し、租税正義の実現62. TKC全国会の結成目的
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